聖書の二重構造

 まずは聖書の二重構造について、純真無知氏の理解をご説明しよう。少しややこしい話となり恐縮だが、この二重構造を理解しなければ、その後の純真無知氏の心理は理解できない。

神の呪い

 さて純真無知氏が、聖書をたった一人で第1ページから読み始めたとご想像いただきたい。
 彼には、アドバイスしてくれる教会も神父様も牧師様もいない。
 その場合、旧約聖書を読了した時点で、純真無知氏は「聖書に描かれている唯一絶対の神は、大変に恐ろしい存在だ」と、おそらくは思い込むこととなる。
 むろん、そのことで純真無知氏を怒る人はいない筈だ。その人が聖書を読んだことがあるのなら…。
 万一誰かに、「神が恐ろしいなんて、それは神への冒涜だ」と言われたなら、純真無知氏は質問者の無知にびっくり仰天し、聖書そのものが「神を恐れろ」と命じていると説明するだろう。
 以下、ご覧頂きたい。

  • ●全地よ。主を恐れよ。(詩33:8)
  • ●それでエホバはわたしにこう言われた。「わたしはこの民があなたに話すその言葉の声を聞いた。彼らの話したことはすべてそれで良い。彼らが、わたしを恐れ、わたしのすべてのおきてを常に守るこの心を培えばよいのである。(申命5;28-29)
  • ●あなたの神エホバを恐れ、この方に仕え、その名によって誓いをすべきである。(申命6:13)

 以上、旧約聖書より。また、新約聖書にも次の記述がある。

  • ●誰を恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ、言っておくが、この方を恐れなさい。(ルカ12:5 )

 (筆者注: 旧約聖書の新改訳、新世界訳では「恐れ」 新共同訳では「畏れ」という字を当てている。なお上記、新約聖書の新共同訳では、「恐れ」という文字を当てている。)
P.33

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