魔法のメガネ製作の舞台裏

以下に御紹介する原作者の意図は、魔法のメガネの絵の描き直しを一般公募したときに、作画に当たっての注意点として実際に読んでいただいたものです(公表に当たって、ごく一部、改訂しています)。

製本版「魔法のメガネ」製作の舞台裏として、お楽しみください。

お読みになっていただければお分かりいただけると思いますが、「魔法のメガネ」の挿絵には、一見、相互に矛盾する、様々な条件・要求が課せられています。
実際、僕(東郷)が満足できる絵に出会えるまで、2年間もの時間が掛かりました。「本当に、満足できる絵に行き当たるのだろうか」と不安になったことすら有りました。

近藤英明氏(製本版「魔法のメガネ」の作画者。300人近いイラストレーターが応募した公募の優勝者です)の絵は、これら様々な条件・要求の全てを、見事にクリアーしてくれたのです。


原作者の意図の説明 〔作画者公募時の公募要綱の一部〕

どうか絵を描きはじめる前に、この頁を十分に熟読し、ご自分のものとして消化していただきたいのです。特に作画契約を目指す方は、ご熟読ください。一方で、「好きなように描きたい」方は、無視していただいて結構ですが、webで発表させていただくためには、平和の絵本として最低限、「描いてはいけない」ことにご注意いただければと存じます。

それから以下の文中で、善悪中毒(者)という言葉を多用していますが、これは僕の造語です。 「善悪の錯覚に依存している(人)」といった意味ですが、詳細については、弊著「善悪中毒」(戦争など葛藤を生む心理) をお読みになってください。
なぜ善悪中毒への気づきを広げることが人々の癒し・そして世界平和につながるのか、―つまりはこの絵本作成の意義がご理解いただけるものと思います。

★もし、分からない事・不明なことがあったら、絵を描きはじめる前でも遠慮しないでメールしてください。


絵本の使命



この絵本の使命・目的は、善悪の危険を世界に広く知らしめ、善悪中毒者の気づき・癒しとなって、世界平和を達成する「道具」になる、ということです。つまり、「芸術」が目的ではありません。「売れること」が目的ではありません。「エンタテイメント(娯楽)」が目的でもありません。
目的は、あくまでも気づき・癒しを世界に広げ、実際に世界平和を達成することにあります。作品の質の高さも、絵の上手さも、説得力も、すべては、その目的のために有るとご理解ください。


全体の構成―トロイの木馬―心の壁をいかに越えるか

まず、全体の構成ですが、この絵本はギリシャ神話のトロイの木馬のようなもの として、デザインしています。あるいは、どうしても苦い薬を飲まない子供へ、 見た目をお菓子のようにして騙して薬を飲ませる、というような。

例えば、戦争を支持する、どこかの国の人々。彼らにどうすれば、この絵本を読ませることが出来るか、考えてみてください。

ほとんどの場合、人は−特に善悪中毒者は―自分とは違う意見を聞きたがらないものです。自分とは違う意見は、「悪魔のささやき」だとして、耳を閉じてしまいます。
では、どうすれば、この心の壁を越えることが出来るのか?
…これをじっくりと考えていただければ、どのような絵が求められているのか、その答えが自然に生まれてくるはずです。

さて、トロイの木馬は、無害な玩具・戦利品としての外観を持っています。 中にはギリシャ兵が潜んでいたのですから、ものすごく危険なのですが、見た目 は玩具。 ですから、トロイ人は、騙されて自分で城壁の中に運び込みました。

この絵本も、トロイの木馬として機能させるためには、同様に、一見、100%無害でなければなりません。

(意味を強調するために、敢えて、おかしな表現をしますが)善悪中毒者を騙して、人畜無害なものと思わせ、自分で心の城壁の中に運ばせ る。・・・ということです。
この騙すという必要性・デザインを、まずは十分にご理解いただきたいのです。
なお、この点に関しては、なぜ絵本で世界平和なのか?の頁もご参照ください。


絵本の外観について

上記をご理解いただくと、絵本の外観に、アクなり反発・嫌悪の要因が、カケラもあっては、いけないことがお分かりいただけるでしょう。
もし、少しでもそうしたニュアンスがあると、善悪中毒者は、それらを敏感な嗅 覚で嗅ぎ分け、絵本を恐がり・不信をいだき、決して読みません。 善悪中毒者を騙すためには、無害で、暖かそうでほっとして、魅力的で、優しそうで、愛がこもっていて、美し くて…、といったことを目指していく必要があるのです。

それから、欧米などの一部の方々には、まだ漫画を低俗とする「偏見」が残っていると聞くことがあります。したがって、あまりに漫画タッチな絵は、避けていただいた方が無難です。

個性的であることについて―メインキャラなり絵本の外観に関連して

一般の商業出版の場合、絵本は店頭に並べられます。手にとって見てもらうためには、個性的で目だつ必要があるでしょう。
100人のうち、70人が顔をしかめても、残り30人が「わ! これ個性的!」と手にとってくれれば、その絵本は大成功でしょう。
逆に、100人が全員、その絵本を見て微笑んでも、誰一人手に取ってくれなければ、その絵本は失敗です。

しかしながら、この絵本には、そうした考え方は当てはまりません。

この絵本の場合、まず申し上げたいのは、手にとって読んでもらうことに関して、それほど不安には思っていないことです。
この絵本は、これ一冊だけを郵便で贈りつけるのです。 そして、その1冊は、多くの場合、他国からの航空便で送られてきます。通信販売のカタロ グならいざ知らず、普通に店頭で千数百円で売っているような本物の絵本が注文した覚えも無いのに無料で、です。 しかも、その絵本は、日本語と英語の併記。

これだけで、絵本を受け取った人は―どの国の人であろうと―ギョッとするはずです。
「え? 誰がこんなもの送ってきたんだ? 通信販売のカタログじゃないみたいだし、請求書もついてない。 新手の詐欺なのか?」とです。

さらに、この絵本には、実際にリボンをかけます。 送り状には、プレゼントだと書いてある。リボンが掛けられている。可愛い絵本だ。
「ええ? な、なんだ!?」
・・・ですから、絵本を受け取った人が100人いたら、その100人全員が、かなり好奇心を刺激されるはずです。ですから、少なくとも、数ページは読むでしょ う。

もし、リボンを掛けて海外の見知らぬ人から航空便でプレゼントされた二ヶ国語 の絵本を、一切見ないで、ゴミ箱に捨てる人がいたとしたなら、その可能性で思 いつくのは、たった一つだけです。 それは、その人が、よほど表紙なり、裏表紙なりの絵が気に入らなかった場合です。

ですから、絵本の外観やメインキャラには、アクも嫌悪感も、不要です。といいますか、有っては困るのです。

つまり、「個性的である」ということが、(一部の人にとってでも)不快感の原因になるなら、その「個性」は不要です。
受け取った人が100人いたら(それも、国籍も文化もバラバラな100人です)、その全員に好感を持ってもらう必要があるのです。これが第一条件になります。

これは、「個性的である」ことよりも、はるかに大事な条件になるのです。 「俺の絵は、個性的だ。分かる人には分かる」では困ります。100人のうち100人に(90人ではなく)好感を持ってもらうことを目標にしてください。

さて、民族も国籍も違う大勢の人々全員から可愛いと思われ、なおかつ個性的であることが果たして可能なのかどうか、僕には分かりません。
もし、それがありえないことなら、どうか普遍的な一般的な好感度・可愛らしさを追求してください。個性的であることは犠牲にしてくださって結構です。
しかしながら、普遍的な可愛らしさを備えた上で、個性的であることは(もしそれが可能なら)、もちろん、大歓迎です。


著作権の買取―独占使用権と個性について

さて、別途ご説明している通り、本件は著作権の買取です。あなた(=作画契約を結ぶ方のことです)が作り出したキャラクターは、今後、あなたのものにはなりません。
この絵本シリーズなり、「和を地球へ」関連以外で、全く同じキャラクターを公に描くことは基本的に出来なくなります。

一般的な可愛らしさを追求して生み出した、キャラクターを他の作品で使えないとなれば、それはあなたにとって、大変に不自由なことになると想像します。 ですから、この絵本のために作り出すキャラクターには、決して見間違えのない、何かはっきりとした特徴をつけていただくことを、(あなたの今後の創作活動を守るために)お勧めします。

この絵本の場面設定について

絵本の一番最初に「広い宇宙のある星で」と書いてあることに、ご注目ください。この絵本は、地球の話ではないのです。
なぜ、そうしたか、以下、その理由を箇条書きします。

上記のような理由ゆえに、「広い宇宙のある星で」としたのです。SF仕立てにすることが目的では有りません。さらに言えば、SFが嫌いな読者もいます。
ですから、実際の風景や登場人物は、地球のもので結構です。(もしかすると地球の風景の方が好ましいのかも知れません?)。どうか無理にSF仕立てには、しないでください。

地球の風景とすることで、「人を傷つけないために、(地球の風景に見えるのに)わざわざ他の星という設定にしている」という「和の心・思いやり」が明確になる可能性もあります。もし、そのような効果を出せれば、それは結構なことでしょう。
―しかしながら、一方で「これは地球の風景だと証明される」ことは避けなければいけません。たとえば、「ある星」を描いたときに、その星の大陸の形が、はっきりとアメリカ大陸と同じだったら、「ある星=地球」と証明されてしまいます。この辺の微妙なバランスをご理解いただきたいのです。
それから、同じことですが、登場人物があたかも日本人のように見えること」はOKです。これは日本人が作成する絵本ですから。あるいは、登場人物が、無国籍でどこの民族かさっぱり検討がつかない、もありです。 しかしがら、日本人以外の、どこかの国・民族を直接的に連想させるものは避けてください。

善悪が何よりも大切だと信じている民族は、いくらでもいるのです。 もし、この絵本の登場人物が○○人のように見えたら、この絵本は「反○○だ!」と誤解されるかも知れません。 △△人に見えたら、「反△△だ!」となるでしょう。

洋服の形、柄にも、特定の民族・宗教を連想させないように、細心の注意を払ってください。
この絵本は、全世界の紛争地帯、憎しみの真っ只中へ飛び込ませるものであることを、どうか忘れないでください。

場面設定と登場人物の個性・特徴について

登場人物には、特徴をつけることをお勧めしています。また、この絵本の場面は、一応、「他の星」です。ですから、登場人物は、建前としては宇宙人です。
メインキャラについて言えば、普遍的な可愛らしさを備えた、宇宙人です。しかし、100人のうち100人に好まれるためには、限りなく地球人に近い姿かも知れません。
こうしたことから、一切の嫌悪感を誘わないことを条件に、地球人には無い特徴を、登場人物が持つことは、「有り」です。

たとえば、頭にアンテナがあったり、角があったり、猫耳だったり、尻尾があったり、触覚があったり、といったことです。 何をつけるのか、つけないのか、あなたへお任せしますが、この場合も、気をつけていただきたいのは、(宗教的な)タブーに触れないこと。一歩間違えると、たとえば、「悪魔だ!」となってしまうかも知れません。

たとえば、タブーを一切連想させない、アンテナのような、角のような、何かよく分からないものが、登場人物の頭についている。目だたないので、キャラの可愛らしさは損なわないが、特徴的なので、誰が見ても「和を地球へ」のキャラだと分かる。でも、悪く言うと、「とってつけたように不自然かも」。―これは「有り」です。

「この角みたいなもの、まるで”取って付けたように”見える。わざわざ宇宙人にしたんだ。なぜ? ―あ、人を傷つけない配慮か。さっすが平和の絵本!」となるかも知れません。



各場面の作者の意図

表紙

原作では、表紙はただメガネを描いているだけです。「魔法のメガネ」なので、メガネを描いただけで、(描くのも簡単だったので)それ以上の理由はありません。 他に適当なものがあったら、別にメガネである必要はありません。 絵本の外観でご説明したとおり、魅力的な表紙だと嬉しいです。

出だし

男の子がお祈りをしています

この出だしは、善悪中毒者への餌として書いています。善悪中毒者を食いつかせ る為の工夫です。

善悪中毒者は、次のように考えていることが多いでしょう。 「善悪の区別は、とても大切だ。しかし、最近、善悪がないがしろにされている。 困ったものだ。全世界の人々が、きちんと善悪の区別をして、善悪を大切にすれ ば、世界はもっともっと良くなるのに」

こう考える人にとって、善悪の区別を知る為にお祈りをするメインキャラは、と ても共感しやすいのです。 「ああ、この少年は何て立派な少年なんだろう!」とです。 ですから、ここでは少年の真剣な祈りの感情を表現したいです。

しかも、この少年が愛らしく可愛ければ、善悪中毒者は、「この作者は、メイン キャラを善玉として描いているな」と理解します。 つまり、「善玉の主人公が、善悪の区別が大事だと考えている」こととなるので す。善悪中毒者(読者)は、共感せざるを得ません。
こうして、善悪中毒者の心の城壁を開けます。

さて、この段階で、絶対に避けるべきことは、メインキャラのアク。嫌味。悪党っぽさ他ネガティブな外見です。 100人が100人とも、メインキャラに好感を持つ。これが、メインキャラの 使命です。そうでなければ、”騙せません”。

天使の登場

天使も、また、純粋に素敵な天使です。一切のアクがあってはいけ ません。ただ何か特定の宗教を連想させないようにしたいです。
十字架などもダメです。それから天使に角や尻尾ををつけるのは、難しいでしょう。「冒涜だ!」と思われる危険があるかも知れません。

さて、天使が抱く感情は、まず心配であり、次に悲しみです。なお、天使は愛の象徴であり、もしかすると雨=大自然の化身かも。


メガネがどこから来るのか?

web版では、メガネは天使から渡されます。しかし、この製本版では、「どこからともなく」としています。どこからメガネが来るのかは、読者の解釈に委ねたいのです。
善悪が神から来ると信じる人は、善悪のメガネも神から(もしくは天使から)授かったと思うでしょう。
善悪が偏見だと信じる人は、善悪のメガネが心の中に偏見として発生したと思うでしょう。―どちらの解釈も可能な絵にしてほしいのです。
善悪のメガネがどこから来たのか明示してしまうと、多くの読者をこの時点で失ってしまう危険があります。

雨について

天使の涙(雨)がポツンと落ちる。 これは、むろん、善悪のメガネが悲劇の元であることを天使が知っているので、 悲しくて涙を流すのです。
しかしながら、善悪中毒者は、これを批判だとは受け取れません。 彼らの理解する言語は、「善か悪か」です。彼らが恐れるのは、「善悪で裁くこ とは悪だ」といった批判。 一方で、「善悪で裁くことは悲しい」という言語を善悪中毒者は持っていません。
つまり、天使の悲しさを善悪中毒者は理解できない。 ですから、まだ、善悪中毒者は、これがトロイの木馬だとは気づきません。

なお、絵本全体を通して、白黒のシーンには、雨を降らせています。雨は、天使の悲しみ=涙の象徴のつもりです。

白黒の場面へ

あれれれ、何もかも白黒になっちゃいました!! わあ、面白い!

景色を白黒にしたのは、むろん善悪への痛烈な批判として、です。
善悪で判断することは、せっかくの天然色の世界を白黒の退屈な世界にすることだ、という主張があります。
とはいえ、まだ、善悪中毒者にショックを与えるのは、早すぎます。 そこで、僕がした工夫は、「面白い!」という言葉です。(魔法のメガネ最新版(PDF)では省いていますが、この言葉は復活させるつもりです)。 ここでは、善悪を面白い、と誉めているのです。つまり、批判ではなく、誉めています。
もっともっと深く、心の城壁を超えて入り込みたい、そのための工夫です。

さて、この頁以降、ご留意いただきたいのは、「美しい白黒の絵」を描かないでいただきたいこと。
と言いますのも、「白黒の世界は、退屈だ!」 そんな主張をするために、白黒のシーンを続けるからです。 もし、美しい素敵な白黒の絵を描かれてしまうと、「白黒は、素敵だ!」になってしまい、絵本のテーマが死んでしまいます。
ですから、敢えて、白黒の各頁は、魅力に乏しい退屈な絵を描いていただきたいのです。

なお、白黒の場面で、メインキャラだけをカラーで表現することは「有り」です。

なお、web版では、食べても良い動物として、ニワトリと豚を描いていますが、最新版では豚の代わりに羊としています。
これは豚を食べるのは悪だという宗教・文化への配慮です。(ニワトリや羊を食べるのは悪、という宗教を僕は知りませんが、もし、そのような宗教・文化をご存知な方がいらしたら、教えてください。その場合は、ニワトリや羊も避けるべきでしょう。)

海のシーン

鯨を食べたら悪なのかな?

この頁も、一切、嫌味・ネガティブな印象を与えてはいけません。 ここもあくまでも素直に、無邪気に、純真に、です。
鯨を食べるのが悪だ、と信じている方に「鯨を食べるのは悪 なのかな?」と言っても決して反発されることはありません。
「そうか、馬鹿な日本人であるお前にもようやく分かったか! 感心、感心」と誉められることでしょう。(つまり、これを書くことで「鯨を食べる野蛮な日本人が書いた絵本なんか読めるか!」という心理的な壁を越える効果を狙っています)
ここでも、嫌味な印象を絵が与えない限り、善悪中毒者が絵本を閉じることは ありません。


善悪のメガネを大勢の人がするまで

ここでは、善悪のメガネを大勢の人がするまでの流れを描いています。 つまり、先ほどの、善悪中毒者にとっての理想の世界の実現です。
「全世界の人々が、きちんと善悪の区別をして、善悪を大切にすれば、世界はもっ ともっと良くなるのに」
さあ、全員がメガネをして、今こそ理想世界が実現したのです!!! 
善悪中毒者の嗅覚がいかに鋭くても、ここまでで、絵本を閉じるチャンスは無い筈。

ここでも、気をつけていただきたいのは、人々を普通の善良そうな人々として描 いていただきたいことです。 彼らは善悪中毒者そのもの。つまり、読者の仲間です。自分の仲間を醜く描かれ たら、絵本を閉じられてしまうでしょう。

それから黒く見える人々を、「悪玉」として描かれるのは好みません。
また、黒く見える人々を、人種としての「黒人」を連想させるようには、絶対に描かないでください。

なお、僕の絵では、大勢の人は上に向かって祈っていますが、これは描きなおすのが面倒だったので、そのまま残しているだけです。(web版では、メガネは、天使=上から、降ってくるという設定でした)



虹の場面

ちょうど雨がやみ、空には虹がかかっています。ああ、世界はなんて、美しいのでしょう!

さあ、カラー頁です。ここは方針を一転。出来るだけ美しい世界を描いていただ きたいのです。 白黒の退屈な世界に慣れていた読者の方に、「うわ! 綺麗!」というショック を出来る限り与えたいです。
ここで、善悪=白黒の世界が、いかに退屈か、総天然色がいかに素晴らしいかを 実感してもらいます。 ここのテーマ・主張は; 「白黒(善悪)のメガネをするということは、神(宇宙でも何でも良いですが) が与えてくださったこれほどの自然の美しさを無駄にすることなんだ!」 というものです。

このシーンでは雨が降っていません。というのも、メインキャラがメガネを取っ た瞬間に、天使が泣き止んだからです。善悪のメガネをとってくれたから、天使 はもう、喜んでいるのです。 でも、その直前までは善悪のメガネを人間がすることが悲しくて泣いていた。だ から、空気中に水滴が残っていて、その結果、最高に美しい虹が掛かったという ことです。
ですから、きらきらと輝く、最高に美しい頁を描いて 欲しいのです。

血に気がつく

あれ? これは何だろう? ―なにか赤いものがあります。

この頁は、以降の残酷なページを読者が乗り切るための、布石です。なにやら赤いもの。…これが血であることを、この段階で、読者に、あまり分かって欲しくは無いです。好奇心を持続させたいので。
ですから、すぐに血だ! とは、むしろ分からないように書いていただいた方がありがたいです。
なお、投石のシーンで、僕の絵では少女が血を流しており、赤い物=血と一目瞭然です。赤い物が何か分からせないためには(少しでも読者の興味を惹くためには)、投石のシーンで血を描かない方が、効果的かも知れません。ちなみに、この赤い物=血は、僕の元々の意識では、投石で流れたものというよりも、戦争で大勢の人が虐殺されて出来た血の海(の一部)です。 〔ですので、戦争のシーンで血(の海)を描くことは「有り」です。〕

残酷なシーン

さあ、牧歌的なシーンは終わりです。
投石からは、残酷なシーンが続きます。ここで嫌悪感・恐怖など、ネガティブなショックを読者に受けてもらいます。
読者の一部は、ここで脱落するかもしれません。 しかし、その可能性は低いでしょう。 何せ、もう大半のページを読み終わっているのです。残りはわずか。 ここまで読んでしまえば、普通、勢いで最後まで読んでしまうでしょう。

つまり、一切アクのない、嫌悪感のない内容で、安心しきってここまで読んだ読者は、 思いがけず、目いっぱい、ショックを受けてしまうのです。 ―安心させて、思いっきりショックを与える。 読者をここまで意図的に騙してきたのは、読者の心の壁を越え、無防備な読者の心に衝撃を与えるために他なりません。
読者に心理的なショックを与えるのは、いうまでもありませんが、読者を不快にさせることが目的ではなく、 気づきを広げることが目的です。

僕がイメージしているのは、喉にひっかっかる魚の骨のようなものです。
僕は、この絵本を、善悪中毒者たちの喉にしっかりと引っかかり、絶対に取れない魚の骨にしたいのです。
魚の骨のように喉に刺されば、それで、絵本がたとえゴミ箱に投げ捨てられたとしても、絵本は、立派に 使命をやり遂げたこととなります。

ゴミ箱に投げ捨てても、絵本を読んでしまった事実は消せません。 内容を否定するのは、至難の業です。 忘れようとしても、時々、思い出してしまう・・・
そして、いつか、いつの日か、魚の骨は気づきをもたらしてくれるでしょう・・・

さて、この絵本の残酷な出来事は全部で3つ。投石・火あぶり・爆撃(戦争)です。
これら3つは、実は、全部、現実に存在した出来事です。
投石は「結婚した女が非処女なら、石を投げて殺す」という、世界に存在した昔の習慣。
火あぶりは、たとえば、魔女裁判・異端審問。戦争は、原爆投下であり・今も続く様々な戦争であり。 これらの史実を、史実として直接、表現するのではなく、読者の責任で「連想」させたい。
なんで連想させたいか、というと、むろん反戦のメッセージを強めるためです。
長々と言葉に書くと、以下の感じです。

現代人である、あなた。 あなた方は、非処女を投石で殺さない。
魔女裁判を開いて、人を火あぶりにしない。
そうした行為を、今のあなた方は野蛮だと思っているよね。
でも、あなた方は、戦争をしている。 目を開いて、よく見てご覧。投石も魔女裁判も戦争も、原因は全て同じ。 善悪のメガネにあるんだよ。
つまり、あなた方は善悪のメガネをしているという点で、投石・魔女裁判をしていた時代から、一歩も進歩していない。 それどころか、犠牲者の数は、戦争の方がはるかに多いんだよ。 投石・魔女裁判を野蛮だと思うなら、はるかに野蛮な戦争をやめて。 共通する原因、善悪のメガネを外して。

なお、読者に連想させるのではなく、もっと直接的な表現をすると(いくら他の星の出来事としても)、 「非難されている!」と思う人が出てきます。だから、あくまでも、読者の責任で連想させたい。 たとえば、火あぶりのシーンの「杭」ですが、これは十字ではない方が良いでしょう。(十字架だと誤解されると、ややこしくなるでしょう)

また、仮にアメリカの爆撃シーンを直接描けば(B29なりステルス爆撃機なりそのものを描けば)、この絵本のメッセージは、 「アメリカは悪だ!」となってしまうでしょう。
しかし、この絵本のメッセージは、「アメリカは悪だ!」ではなく、「善悪は危険だ!」という、はるかに本質的で、普遍的なものです。

「ああ、なんだ。この作者は、結局のところ、反米思想でこれを配布しているんだな」と誤解されては、この絵本は、気づきを世界に広げることは出来ません。

言葉を変えていうと、我々が、戦争責任者として誰かを名指しするのではなく、 「ああ、そういえば、あの政治家って、善悪のメガネを掛けているよなあ」と読者に勝手に気づいてもらうということです。

その際、もし、読者の理解力が深ければ、「この作者は、誰が善悪のメガネを掛けているか、知っているに違いない。 なのに、あえて他の星の出来事にしている。なぜ、○○は悪だ! と他の反戦団体のように叫ばないのだろう?」 という疑問を持ってくれるでしょう。
「どうやら誰の心も傷つけないように、細心の注意を払っているようだ。 この絵本は、そもそもリボンを掛けて贈ってきたぞ。…なるほど、これこそが和の心か! 恐るべし」
こうして、世界に和の心を広げるということです。

質の高い残酷さについて

それから、残酷さに関して、もう少しコメントしましょう。難しいシーンだと思いますので。
これらのシーンは、無理に残酷趣味にするのではなく(この絵本を子供が読めるに越したことは無いでしょう。)、けれ ど、十分に残酷に、ということです。質の高い残酷さが求められるのです。

つまり、心底ぞっとするけど、ただの表面的な残酷趣味ではない。 …ということです。

その際、特にご注意いただきたいのは、加害者を悪者として描かないで欲しいということです。 投石をする人、よってたかって火あぶりをする人、 …彼ら加害者は、むろん、偏見を持ち、犠牲者に対して冷たい気持ちを持っているでしょう。

しかしながら、あなた(画家)は、加害者たちを憎まないで描いていただきたいのです。 どうか加害者に対して(爆撃機に対してすらも)、一切、憎しみの気持ちを持たないで描いてください。

犠牲者に対しても、加害者に対しても、等しく「優しい目」を向けて描いていただきたいのです。
加害者も被害者も、どちらも普通の人として描いてください。善玉、悪玉で絶対に分けないで欲しいのです。
もしあなたが、加害者へ憎しみの気持ちを持って描けば、それは当然、絵に反映されるはずです。 読者は、敏感にあなたの憎しみを感じ取るでしょう。

どうか、ここの部分は、とても大事なところなので、強調させてください。
この絵本への応募資格は、「平和への情熱」です。もしかすると、あなたは戦争をする人間を憎んでいるかも知れません。
そのことを僕は批判するつもりはありませんが、この絵本に関しては、「憎しみ」は不要です。 憎しみの気持ちで、たった一本の線も引かないでください。 あなたの憎しみが、絵に込められることがあったら、この絵本が世界へ広がり、気づき・癒しをもたらすことは、有り得ません。

再び白黒へ

メガネを掛けると、赤い血も火も、まるで魔法をかけたように見えなくなりました。

タイトルは、「魔法のメガネ」ですが、ここまで全て「善悪のメガネ」で通してきています。 読者は、善悪のメガネなのに、なぜタイトルが魔法のメガネだろう?と不信に思っているかも知れません。
この頁で、その謎が明かされます。善悪のメガネをすると、まるで、魔法をかけたように、見えなくなってしまうんだ!と。
こうして、善悪は、魔法のような目隠しとして働くというテーマを浮き彫りにします。

ここででも、むろん、 「善悪のメガネをするのは、悪だ」という、善悪の世界の議論にならないようにご注意ください。
「善悪のメガネをするのは悪だ」になると、この絵本は、善悪の世界を抜ける事が出来ません。 そのためには、一切の批判・非難の気持ちは、不要。 ですから、絵にも、批判・非難を込めないで下さい。

大勢の人が殺されているシーンを見ることに耐えられない、というのは、大変に自然な人間の心理です。 普通の神経を持っていたら、誰でもそう感じます。 それを非難することなど、誰にも出来ません。

だから、ここでもメインキャラを悪玉、アクの強いキャラとして、ネガティブに 描きたくは無いのです。 そうではなく、メインキャラはあくまでも繊細な感受性 を持った純真な子です。
だから、僕の文章もあくまでもポジティブを心がけています。
「忘れることが出来る」というのは、とてもポジティブな表現です。「忘れて、 バカヤロウ」でもなく、「忘れざるを得ない」でも「忘れるなんて、とんでもな い奴だ」でも、有りません。

ラストシーン

最後の雨の頁は、純粋な悲しみ。
天使が泣く姿を直接描いた方がベターなのか、どうか。よく分かりません。 天使を描かずに、あたかも水滴(=雨、自然、自然の精霊?)が語るような・・・、そんな描き方もあるでしょう。

天使を直接描くのかどうかは別として、このラストの雨は、天使の号泣。
ここで、善悪中毒者は、「善か、悪か」ではなく、全く違う次元の価値観の存在を実感してしまいます。 それは、「悲しい」というものです。 「善悪のメガネは悪だ」という、彼らの分かりやすい言語ではなく、 「善悪のメガネは悲しい」という別の言語で話し掛けます。
ここで、善悪以外の価値感の存在に、彼らは気づくのです。 ですから、(もし天使を描くなら)天使の表情は、純粋な悲しみだけ。 絶対に、天使がしてはいけな い表情は、憎しみ・非難・批判・なじる、といったものです。 それをすると、その瞬間に、善悪の世界に後戻りしてしまうのです。 一切批判・非難はない。善悪ではないのだから。・・・ただ、悲しい、号泣して いる、ということです。

さらに言えば、天使が悲しいのは、空理空論で悲しいのではないのです。 大雨の向こうに、白黒の火あぶりのシーンなりが透けて見えます。天使が号泣し ているのは、実際に人が憎み合って、傷つけ合って、殺しあっているから、悲しくて号泣しているのです。 今の世界のように・・・

そして、あとがきに続いて、協賛者として寄付してくれた人の名前が2−30人。 決して、軽いメッセージではないことを読者に実感してもらおうと思っています。

裏表紙

この本は、旅をしています。

「頁配分の案」で簡単な絵と上記の文章を示しました。
この裏表紙に描いていただきたいのは、「魔法のメガネ」本体とちょっと離れて、「和を地球へ」絵本シリーズ (今後とも、一冊ずつ製本版を作成し、シリーズにしたいと思っています)全てに共通するトレードマークのようなものです。

この平和の絵本の特徴は、人から人へプレゼントとして、世界中を旅していく、というものです。 そのイメージをビジュアルに表現していただきたいのです。なお、実際に「和を地球へ」のトレードマークとして使わせていただく可能性もあります。

さて、「この本は旅をしています」という言葉についてですが、「え? 何?」と好奇心に訴える効果を期待しています。 
しかしながら、この時点では平和のメッセージであることは伏せています。平和のメッセージだと知ったなら、決して読まない人がいるからです。 ですから、絵についても、明らかに平和のメッセージだと分かるものは、避けていただきたいです。(つまり、ハトを書き込むのは、まずいです)。

また、ブッククロッシングを連想させて(特に、米国人は、ブッククロッシングを連想する可能性が高いでしょう)、「人手から人手へ」より高い確率で渡るように出来ればと思っています。

(注)ブッククロッシング

ブッククロッシングは、アメリカで流行りつつある運動で、自分が読み終わった本にブッククロッシングのステッカーを貼り、公園のベンチなどに置き去りにするというものです。
その本を拾った人が新しくその本の所有者となることで、中古本の流通・再利用が行われます。
また、ブッククロッシングのサイトに登録することで、自分が置き去りにした本が、今どこの誰の所有になっているのか、何か感想を入力してくれた人がいるか、などを追跡調査することが可能です。
詳細については、こちらのブッククロッシングのHP(英語)をご覧下さい

なお、米国でこの運動が盛んになることは、「人手から人手へ本が渡る」という習慣が根付く事であり、この絵本の流通にとって追い風になるものと考えています。

以上です。






君のウチへ
遊びに行かせて!
ぼく、魔法のメガネの主人公だヨ!-寄付(募金)のページを見てネ!



製本版「魔法のメガネ」の表紙です。