「善を愛せ、悪を憎め!」
—そのためには、まず善悪で分けないと。
「この人は良い人? 悪い人?」
「あの政治家は悪だ!」
「我々は正義の味方だ。お前らは違う。なぜならぁっ…」
—人はこうして善悪の区別に熱中し、それは心の癖となるね。
さて、人が「誰かを悪い人」と思ったら?
人は、その誰かを自動的に憎んでしまうかも。悪を憎め、と…。
でも…、多くの悲しみ・不幸の原因は、人間同士の憎しみに有った筈。
●人を憎んで、悪を憎んでいると思う事。
●人を殺して、悪魔を殺したと思う事。
—どちらも、錯覚。
錯覚したら、現実は見えないね。現実が見えなければ、現実の悲しみ・不幸も見えない。—そして、多くの人が凶暴化するよ。
人を憎むのは悪、…なんて言ってない。
●人を憎むときは、人を憎んで。 …ね、悲しみが見えるでしょう?
●人を殺すときは、人を殺して。 …ほら、不幸も見えるでしょう?
現実が見えれば、現実に沿って行動できる。…最大限、望まない結果を避け・望む結果を得られるようにね!
—さあ、目を開けてその悪魔を良く見て。
尻尾や角、付いてる? …もし、無ければそれは人間!
人に、本物の悪魔は殺せないよ。ましてや、悪という分類記号・観念と、どう戦うというの?
現実世界で人に出来るのは、人を傷つけ・殺す事。
人が錯覚して行動すれば、人が得るのは望まなかった結果だけ。
それが悪だから、…ではなく、原因と結果の自然法則。
—むろん、僕も知ってるよ。世界には、悪魔のようにひどい事をする人がいるって。
そんな時こそ、現実に目を見開き、真の原因を探して、無限の対応手段の中から最も効果的なものを選ばなきゃ。
●その人、怖がってない? …恐怖の原因は何? …見つけて、取り除こうよ。
●怒ってない? …怒りの原因は何? …自分のせいなら謝ろう。
●絶望してない? …一緒に夢を探そうよ。
●心の病気じゃない? …治療しよう。
●善悪の錯覚に囚われてない? …じゃ、このメッセージを伝えよう。
でももし、「人が人である」という現実から、そもそも目をふさいでいたら…?
あなたへお願い。
どうか僕のメッセージを出来るだけ多くの人に伝えて!
人は、善悪の2分類ゲームに熱中し、人の不幸・悲しみの原因から目を閉じて—「悪と戦う」と錯覚し—無限の対応策を捨て、憎しみ一つに身を委ね—更なる人の不幸・悲しみを作り出し—望まなかった結果に、恐れおののき目を閉じて—善悪の2分類ゲームに熱中し…。もう、何千年も世界中で—。
目を開けて!