人々はより高い生産性、競争力を求めて、前にもまして必死で働き続けます。「この世は競争です。競争がない社会は停滞し生き残れません。 適者生存、弱肉強食、競争には勝たなければいけないのです。惨めな敗者になりたくなければ、もっとがんばれ! 自由競争万歳!」ということです。 なお「競争(自由競争・資本主義でも、計画経済・共産主義でも)は善(または悪)」というように善悪で目隠しをすれば、問題の解決は難しくなるでしょう。
生活がこんなに苦しいのは、自分たちの競争力が弱いからでしょうか? 村人たちは、さらに必死でがんばって生産性を高めました。 |
しかし生産性が上がれば上がるほど、競争は厳しくなり、勝ち残る人数は減り、失業者が増え 、社会不安は増し、 村の借金が増え、税金が上がっていきました。 |
〔注〕村を国と考えた場合、生産性を高め他国への輸出を増やせば、国内の失業率はすぐには高まらない。 しかしそれは他国への失業の輸出となる可能性がある。他国での失業率アップは他国の社会不安の原因となり、 それを援助するためには自国の税負担を上げる必要がある。税負担が嫌で援助をしなければ、 いずれはテロ・戦争・難民といった形でツケが回ってくることとなる。 念のため付け加えると、問題は生産性アップや自由貿易にあるのではなく、 「競争は善」といった盲目的な信仰、いわば錯覚にあり、その底には敗北や不足に対する恐怖症の存在があると筆者は疑っている。 |