悪と罪の 役割分担 |
東郷 潤 |
〔ふりがな〕 あくと つみの やくわりぶんたん とうごう じゅん |
★絵本としては少し難解かもしれません。絵本の論文だとお考え下さい。 |
P.1
悪と罪のイメージには、どんな関係性があるのでしょう? 哲学的・本質的な話ではなく、言葉のイメージが人間心理に与える影響の話です。 |
これは厳密な話ではありません。 悪と罪は、ほとんど同じ意味で使われることもあるのですから。 |
〔ふりがな〕 あくと つみの いめーじには、どんな かんけいせいが あるのでしょう? てつがくてき・ほんしつてきな はなし ではなく、ことばの いめーじが にんげんしんりに あたえる えいきょうの はなしです。 つみ あく これは げんみつな はなしでは ありません。あくとつみは、ほとんどおなじいみで つかわれることも あるのですから。 |
P.2
悪のイメージは、敵という言葉と対応していそうです。 敵同士が互いを悪とみなすって、ありふれたことですよね。 |
敵同士の関係は対立です。強い・弱いはあっても、それは上下関係ではありません。 |
〔ふりがな〕 あくの いめーじは、てき ということばと たいおう していそうです。 てきどうしが たがいを あくと みなすって、ありふれた ことですよね。 あくとうめ! あくまめ! てき どうしの かんけいは たいりつです。つよい・よわいは あっても、それは じょうげかんけいでは ありません。 |
P.3
勝敗の決着がつけば、戦いは終わります。 それが国と国でも警察(社会)と犯罪者(社会の敵)でも、普通は強い方が勝つでしょう。 |
戦いの終わりは、すなわち対立の終わりです。 |
〔ふりがな〕 しょうはいの けっちゃくが つけば、たたかいは おわります。 それが くにとくにでも けいさつ(しゃかい)と はんざいしゃ(しゃかいのてき)でも、ふつうは つよいほうが かつでしょう。 たいほ! たたかいの おわりは、すなわち たいりつの おわりです。 |
P.4
そして敗者は勝者に従いますね。 |
この時、両者の関係は、対立から上下(支配)関係へと変わっています。 |
〔注〕 対立が上下関係に変化するといっても、そこにはいろんな段階があるでしょう。 心の底から恐れ入ることもあるでしょうし、面従腹背ということもあります。 力関係が変われば、上下関係が対立へと変わることもあります。 〔ふりがな〕 そして はいしゃは しょうしゃに したがいますね。 このとき、りょうしゃの かんけいは、たいりつから じょうげ(しはい)かんけいへと かわっています。 |
P.5
勝者は敗者を裁きます。これは、罪を決めるとも言えますね。 |
敗者を敗者の価値観・法律・ルールで裁くことは、普通ありません。 敗者の価値観は、負けた時点で強制終了となっています。 |
〔注〕 ●「昨日の敵は 今日の友」と言う通り、どんな文化でも誰でも必ず勝者が敗者を裁くということではありません。 裁くであろう、文化/錯覚をテーマとしています。 参照:水師営の会見 ●敗者の心の中なりに抑圧されるということです。参照絵本:罰は闇を生む 〔ふりがな〕 しょうしゃは はいしゃを さばきます。これは、つみを きめる ともいえますね。 ひこくにんを ちょうえき10ねんと しょす はいしゃを はいしゃの かちかん・ほうりつ・るーるで さばくことは、ふつうありません。 はいしゃの かちかんは、まけた じてんで きょうせい しゅうりょう となっています。 |
P.6
そして勝者が決めた罪に応じて、敗者は罰っせられます。 |
〔ふりがな〕 そして しょうしゃが きめた つみに おうじて、はいしゃは ばっせられます。 |
P.7
ではここで悪と罪における「攻撃」を、ざっと比較してみましょう。 これも厳密な話ではなく、それぞれの言葉にこんな傾向があるだろうという話です。 | ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
罪への罰は、悪への攻撃よりも抑制的に見えます。 負けそうな側が敵に降伏・服従し、あるいは罪を告白するのは、攻撃の抑制を期待してのことでしょう。 |
〔注〕 悪への攻撃が無条件・無制限になりがちだということに関しては、絵本「攻撃命令無制限」をご参照ください。 〔ふりがな〕 では ここで あくと つみにおける こうげきを、ざっと ひかく してみましょう。 これも げんみつな はなしではなく、それぞれの ことばに こんな けいこうが あるだろう という はなしです。
つみへの ばつは、あくへの こうげきより よくせいてきに みえます。まけそうな がわが てきに こうふく・ふくじゅうし、あるいは つみを こくはくするのは、こうげきの よくせいを きたいしての ことでしょう。 |
P.8
次に悪と罪の錯覚生成を比較してみます。 善悪の錯覚の生成には多くの心理トリックが使われますが、その中でも心的条件付け(暗示)と二分類はとても重要な要素です。 |
〔ふりがな〕 ぜんあくの さっかくの せいせいには おおくの しんりとりっくが つかわれますが、そのなかでも しんてきじょうけんづけ(あんじ)と にぶんるいは とても じゅうような ようそです。 |
P.9
一方で罪という言葉には、善悪ほど強い二分類の性質はありません。 つまり罪という言葉には善悪という言葉ほどの錯覚生成力は無いと推測できます。 |
〔注〕 「善」と「悪」という二つの言葉は、「善悪」という一つの言葉になるほど強く結びついていますが、「有罪」「無罪」は、そこまで強く結びついてはいません。 とはいえこれも、厳密な話ではありません。また「罪は罰するもの」という条件付けは存在するでしょう。 なお善悪の錯覚の生成・維持の過程は複雑なものです。 詳細は本「善悪という怪物」をご参照ください。 〔ふりがな〕 いっぽうで つみということばには、ぜんあくほど つよい にぶんるいのせいしつは ありません。つまり つみということばには ぜんあくということばほどの さっかくせいせいりょくは ないと すいそくできます。 |
P.9-2
罪という言葉の役割は、錯覚生成というよりは、 錯覚の縮小・保存にあるのでは無いでしょうか。 |
〔ふりがな〕 つみという ことばの やくわりは、 さっかく せいせい というよりは、さっかくの しゅくしょう・ほぞんに あるのでは ないでしょうか。 あく←さっかく あく←さっかく あく←さっかく |
P.10
悪なる敵が罪人へと移行する。 それって、あたかも悪が人間から分離され罪というリュックへ入るように イメージできませんか? |
〔ふりがな〕 あくなる てきが ざいにんへと いこうする。それって、 あたかも あくが にんげんから ぶんりされ つみという りゅっくへ はいるように いめーじ できませんか? ざいにん ひと あく ぶんり(こうふく・さばき・つみのこくはく) あくにん(あく+ひと) |
P.10-2
普通、人が人を攻撃することには、抵抗感があるものです。 けれど敵を悪だとイメージすれば、その抵抗感を減らせます。 それは戦いに勝つ可能性を大いに高めてくれるでしょう。 |
しかし勝敗が付けば、高い攻撃性は不要です。 そこで悪から罪へイメージを変化させ攻撃性を抑制し、 かつての敵を社会秩序(の最下層)へ組み込むのです。 |
〔ふりがな〕 ふつう、ひとが ひとを こうげきすることには、ていこうかんが あるものです。 けれど てきを あくだと いめーじすれば、そのていこうかんを へらせます。 それは たたかいにかつ かのうせいを おおいに たかめてくれるでしょう。 しかし しょうはいがつけば、たかい こうげきせいは ふようです。 そこで あくからつみへ いめーじをへんかさせ こうげきせいを よくせいし、かつてのてきを しゃかいちつじょ(のさいかそう)へ くみこむのです。 |
P.11
罪に応じて罰を与え、 罪を償なったと認めて許せば、 かつての悪なる敵を仲間(社会の一員)として受け入れることも出来るでしょう。 |
このように、悪と罪のイメージを使い分け、 人々は他者への攻撃性を調整しています。 |
〔ふりがな〕 つみに おうじて ばつをあたえ、つみを つぐなったと みとめて ゆるせば、かつてのあくなる てきを なかま(しゃかいのいちいん)として うけいれることも できるでしょう。 にどと くるなよ おせわに なりました このように、あくと つみのいめーじを つかいわけ、 ひとびとは たしゃへの こうげきせいを ちょうせいしています。 |
P.12
とはいえ悪の錯覚を罪のイメージの中に、いわば二重に閉じ込めてしまえば、 人々が自ら作り出した錯覚に気づくことは、とても難しくなるでしょう。 |
これでは根本的な問題解決(なぜ敵となったか/戦争・犯罪の原因・予防など)のチャンスを半永久的に失ってしまいます。 |
〔ふりがな〕 とはいえ あくの さっかくを つみの いめーじの なかに、いわば にじゅうに とじこめて しまえば、ひとびとが みずから つくりだした さっかくに きづくことは、とても むずかしく なるでしょう。 おなか すいた! むすめに たべさせないと つみ には ばつ! これでは こんぽんてきな もんだいかいけつ(なぜ てきとなったか/せんそう・はんざいの げんいん・よぼうなど)の ちゃんすを はんえいきゅうてきに うしなってしまいます。 |
P.13
弱者の価値観・ルールを戦いで強制終了。 強者の価値観・ルールを罰で強制。 ・・・これって、強者が弱者を力と恐怖で支配することに他なりません。 |
力と恐怖の支配を 悪と罪の役割分担が 隠してはいない でしょうか? |
〔ふりがな〕 じゃくしゃの かちかん・るーるを たたかいで きょうせい しゅうりょう。 きょうしゃの かちかん・るーるを ばつで きょうせい。 ・・・これって、きょうしゃが じゃくしゃを ちからときょうふで しはいすることに ほかなりません。 ちからと きょうふの しはいを あくと つみの やくわりぶんたんが かくしては いないでしょうか? せいぎ のために たたかうぞ! |
P.14
あとがき |
---|
もし、あなたがこの絵本に共感されたなら、他の方にも読ませてあげていただければと思います。
本絵本は、自由にコピーして下さって結構です(商業出版はじめ金銭的な授受を伴う場合を除きます)。 また下記WEBからは、東郷潤の他の絵本やメッセージをダウンロードすることが出来ます。 www.j15.org |
©Jun Togo 2017 |
P.15
☆あなたの感想をお聞かせ下さい⇒ |
⇒絵本解説ページへ
⇒絵本「愛する人が殺されたら」へ
(「罰と恐怖の絵本集」ではありません)
⇒罰と恐怖の絵本集
平和の絵本
世界平和の絵本集(WEBトップ頁)クイックツアー-QT
お母様へ(子供を心の病から守る)-QT 悩み落ち込む方へ-QT イジメ・虐待問題-QT 政治・社会問題-QT 戦争と平和-QT 国を憂う方へ-QT
絵本集
本当に悪いのは誰? 世界を巡る攻撃命令 正しいことって何? 攻撃命令無制限
殴れるよ 見下せるよ 誤魔化せるよ
良い子にならなきゃ(地獄の恐怖) やるかやられるか パブロフの犬(条件反射の心理学)
子供を犯罪者に(少年犯罪の原因) 教育マシン(子供の教育に) どっちだ?(孤独の心理)
悪いことは悪い 二重に隠れて 大事な議論 正義の味方
サングラス(理想主義の罠) 出ていて引っ込んでいるもの 認識のパターン(絵本集)
終わりの無い物語(憎しみの連鎖) 私は悪い人間です(罪と祈り)
魔法のメガネ(いじめや戦争) 見えない危険(軍拡の心理) 怯える人々(恐怖で狂暴に) 負けるものか(意志が弱い方へ)
善悪と愛憎 愛と嘘(嘘と偽善) 愛と敵(虐待へ) 愛を命令しないで(オムニバス絵本)
神と善悪 悪人さん、ありがとう 失敗し続ける方法(オムニバス絵本) バカ自慢-絵本集 怒りと憎しみ -絵本集
悪と罰(罰の心理) ある星の飲酒運転(酒酔い運転防止) 罰とイジメと自殺のロンド 罰と恐怖(絵本集)
愛する人が殺されたら―復讐の相手 復讐の相手-Ⅱ 想像という現実(連作絵本) 嫌な気持ちになる絵本 それぞれの深い望み
嵐と湖(心の悩みへ) 待って(焦りと不安へ) 国破れて
生と死(絵本集) お金と経済(絵本集) 民主主義(絵本集)
リンゴ異文化騒動記 僕らは特別(被害者意識) 一輪の花(原爆の廃絶) 差別について(絵本集) 日本独立の選択
平和の絵本理論書
善悪中毒の心理学/善悪という怪物
ボランティア
ボランティアのお願い -寄付のお願い -協賛企業 -リンクのお願い
絵本の運動について
平和の絵本の運動 -平和の旅(絵本の贈り先) -キャンペーン -メッセージ広告 -善悪の心理テスト -活動方針 -活動の記録 -メルマガ
イラスト
イラストレーターが描く平和の絵/絵本 イラストレーター公募(絵の書き直し)
メッセージ/手紙
平和のメッセージ集 「和」とは? 精神世界の旅人へ(気づきと戦争) 教育者の方へ(道徳教材) 心の癒しへ 世界平和を願う方(反戦運動へ) 憂国の侍へ -人種平等決議案 -市丸少将の手紙
平和の絵本について
和を地球へ(私どものご紹介) お問い合わせ(感想/メッセージ) リンク集 サイトマップ
管理サイト
平和の絵本から、ありがとう 活動日誌 Diary & LettersPeace Picture Books ユーチューブ(絵本の読み聞かせ) 平和の絵本のFBファン頁 PeacePictureBooksFB fan page ツイッター
平和の絵本のメルマガ登録