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僕らは特別
紫水晶の絵です
東郷 潤

〔ふりがな〕
ぼくらは とくべつ     むらさきは えらばれしもの ほかの ひとは すべて てき     とうごう じゅん

P.1



解説 「僕らは特別」:被害者意識から生まれた錯覚の罠とは?

 何か被害を受けた人を特別扱いをする。―これはいわば当たり前のことです。
 たとえば病人は、多くの義務を免除され優しく看病して貰えるかもしれません。 災害にあった被災者には、政府やボランティアの人々から無料の食事が供されるかも知れません。

 しかしながら、被害を受けた人の意識が、「そもそも自分(たち)は特別なんだ/特別に可哀想なんだ」といった、 被害者意識・選民意識として固定化されてしまったらどうでしょう?
 もしかすると、そこには全ての関係者を飲み込み不幸へと誘ってしまう、恐ろしい錯覚の罠が潜んでいるかも知れません。

 さて、ごく普通の人間が、自分を特別視することは、錯覚に他なりません (普通なものを特別だと認識することは間違い、つまりは錯覚です)。

 そして、「現実」を錯覚すれば、錯覚ゆえに、「現実」はコントロール不能となります (このテーマでは、絵本「見えない危険」をご参照下さい)。
 悲しいことですが、錯覚が深まれば深まるほど/広がれば広がるほど、現実は思い通りにならなくなり、 結果的に、悲劇や不幸がどんどんと生まれることとなるでしょう。

 その悲劇や不幸が、「錯覚ゆえ」だと気づけば、再び現実はコントロール可能となります。 そうすれば、錯覚を原因とした悲劇や不幸は、生じなくなるでしょう。

 しかしながら、その悲劇や不幸が「そもそも自分(たち)は特別だから/特別に可哀想だから」 という認識の強化に向かったなら、その認識は誤解(つまり錯覚)に他ならず、つまり、それはより錯覚を深めることとなり、 結果的に、更なる悲劇や不幸が生まれることとなってしまいます。

 この絵本では、そんな被害者意識/選民意識に関わる、恐ろしい罠/錯覚について描いています。

 なお本絵本は100%フィクションであり、地球上のいかなる人々とも無関係です。 万一、どこか共通点がある方(方々)がいたとしても、それは偶然の産物です。