根っこから世界平和を達成しよう!

絵本で世界を平和にしよう!−私どもの癒しの運動について

 人と人とが憎しみ合うのは、もうたくさん! 殺し合い/戦争なんて、もっと嫌!
 一人一人の心の中・家族・社会・国・地球に、和の輪を広げ、世界平和を達成し、みんな仲良く、いつも大きな笑顔で暮らしてらしていきたい。
 そんな世界を作ることが、きっと出来る。僕らには、きっと出来るはず…。
 ―そんな夢に共感してくださるあなたへ、私ども「和を地球へ」が主催する「平和の絵本」の運動をご説明します。 根っこから世界を変えましょう。




昔は戦争をしたって? 今は世界中、平和。みーんな仲良しだよ

「平和の絵本」の運動について―目次


T.なぜ、絵本で世界平和なの?

2005.8記   

 なぜ、世界平和の達成のために絵本を使うのか、少し長くなりますが順を追ってご説明します。

人の心に働きかける重要性

 まず、人の心に働きかけることの大切さについて、ご説明します。
 あまりにも当たり前、と思われるかも知れませんが、これを説明しなければ、なぜ絵本なのか、ご説明することが出来ません。

 ―たとえば、戦争やテロ・暴力といった悲劇/事象。
 こういう事象は大変に華々しく目を引くものです。マスコミも「何千人死んだ!」という具合に大騒ぎをします。
 しかし、こうした物理的な現れ(何千人死んだ、ビルが爆破された、といったこと)は、 それがどれほどの悲劇であろうと、実は結果に過ぎません。悲劇の本当の原因/大元の原因は、心にこそ存在しています。
 人を直接的に殺すのは、ミサイルの爆発という物理現象でも、その発射命令を下すのは誰かの心です。 戦争もテロも暴力も殺人も、そもそもの原因=動機は、人の心にこそ求める事が出来るのです。
 同様に、人為的に生まれる貧困・飢餓にしても、その事象に働きかけるボランティアだけでは(例;食料・医薬品・毛布の配布等)、対症療法以上のものではありえません(そうしたボランティア活動を不要だというのでは有りません)。

 いうまでもなく対症療法を何万回繰り返そうと、人々の心が変わらなければ、世界を変えることは出来ません。 逆にいえば、人々の心が変われば、世界は変わります。 ―そのために、何としても人々の心へ働きかけることが必要なのです。

 さらに言えば、ミサイルや戦車や爆弾といった攻撃から人々を守るため、人の心へ働きかけるのは、ミサイルを発射した後では間に合いません。
 発射命令を下す前に、働きかける必要があるのです。
(この点において、「和を地球へ」の運動は、戦争がはじまってから慌てて生まれ、戦争が終わってしぼんでしまう一般の平和運動とは、一線を画すものだと考えています。 治にいて乱を忘れず。…ということです。)

 テロ・戦争を例として取り上げましたが、他の人為的な悲劇。―レイプ、強盗、暴力、いじめ、窃盗、殺人、傷害、自殺アルコール中毒薬物中毒など―人間の手による全ての悲劇は、人の心に働きかけ・人の心を変えることで、防止することが出来ます。
 しかしながら人の心が乱れれば、どれほどの警察力・軍事力をもってしても、これらの悲劇を防止することは出来ません。
 国民、一人一人に警察官をつけることを想像してみてください。―それは不可能なことですが、仮にもし、それが可能だったとしても、それでは何の解決にもならないことをお分かりいただけると思います。
 そもそも警察官の心が乱れれば、最強の暴力団が生まれるだけです。軍隊の指揮官の心が乱れれば、恐怖の大量虐殺が生まれるでしょう。

 世界を変え、地球に和(平和、調和)を達成する道を開くためには、一人一人の心を大切にし(憎しみ・非難に拠るのではなく、和の心に拠って)、人々の心へ働きかけて行く事。 そうした心へ働きかける地道な運動が、遠回りのように見えて実は最も近道なのでは無いでしょうか?


人の心に働きかけることの難しさ

 ―「人の心が大切だということは分かる。人の心に働きかけることの重要性も分かる。しかし、人の心は変わらない。他人を説得するなど、そもそも不可能だ」
 こんな議論が存在します。確かに人の心は変わりにくいものです。時に貝のように人の心は閉じ、岩のように頑(かたく)なです。

 しかしながら、一方で、コロコロと変わるから、心(こころ)というんだ、という話を聞いたことがあります。 それが心という言葉の成り立ちかどうか本当のところは知りませんが、心というものが、恐ろしく変わりやすいものであることも事実です。
 心が移ろいやすいものでなければ、そもそも詩は生まれなかったかも知れません。

 つまり、心は変わるものだし、心に働きかけることは、不可能なことでありません。しかし、頑(かたく)なな人の心に働きかけるのは、不可能ではないにしろ、大変に難しい。

 この難しさについて、もう少しご説明しましょう。



不必要な人が読み、必要な人が読まない矛盾

 さて、僕は海外で長くビジネスをしてきたのですが、その経験は、日本にいたときには見えなかった様々なことを気づかせてくれました。
 異文化を経験することによって、初めて見えてくることがあるのです。

 その中の気づきの一つに、人間心理における善悪の影響力と、危険・恐ろしさが有りました。
 それは、本当にすさまじい危険だと思うのですが、一方で善悪の危険に気づいている人は、ほとんど存在しません。
 ―「こんなに危険なことをなぜ皆放っておくの?」
 これが僕の実感でした。
 幸か不幸か、善悪の危険を理解している人は、実に少ない。 これを何とかしなければ、永遠に世界平和は来ない。人々の心に安らぎは生まれない。誰かが言う必要がある、と。
 誰も言わないのなら俺が言おう、ということで、善悪中毒の執筆を始めたのです。

 さて、世界中の人達に、善悪の錯覚の危険を知らしめるという、まさにその目的のために、本の執筆を始めたのですが、 同時に最も読んで欲しい人―善悪中毒者―は、決してこの本を読まないだろう、ということも分かっていました。
 というのも、善悪の錯覚は心を頑(かたく)なにするからです。つまり、善悪中毒者は、そもそも心が頑ななのです。
 彼らが僕の本を手にすることは、まず、ありえません。万一、読むことがあっても、字面を追うだけで意味を理解することは拒否するでしょう。  

 一方で、「善悪中毒」の本を自分から手にとって読む人は、善悪中毒に掛かっていないか、ごくごく軽度の人だけ。  
 つまり、もっともメッセージを必要としている人が、もっともメッセージから遠いところにいる。大してメッセージを必要としていない人が、メッセージに近いところにいる。

 ―そこには皮肉な矛盾が存在しました。
 この矛盾を解消すること。―それを善悪中毒を書きながら、2〜3年に亘って、考えつづけたのです。

 僕がイメージしたのは、目をつぶり、耳を閉じている人達のことです。―物理的なハンディキャップを持つ人達のことではありません。善悪に依存する、心の病を持つ人達のことです。
 彼らにいかにメッセージを届けるか。善悪の危険を知らしめるか。

 目をつぶり、耳を塞いでいる人達。…彼らは、崖に向かって歩いています。放っておけば、崖から落ちます。
彼らは人を悪魔と錯覚し、人を殺しています。

 どうすれば、目を閉じ、耳を塞ぐ人たちの心に、危険を訴えかけることが出来るのか? 


善悪中毒者の嗅覚

 さて、世の中には、具体的な事象(例えば、戦争など)に関する、単純な善悪二元論への批判は、あふれています。
 それらの批判の多くは、大変に理性的・論理的です。 少しでも心を開いてそうした批判を読めば(聞けば)、相互理解への道が生まれますし、善悪二元論の危険をある程度までは、自覚することが出来ます。
 しかしながら、いまだに世界の多くの人々は、多かれ少なかれ善悪の錯覚に依存しています。

 人は、自分の世界観を守ろうとするものですが、善悪とともに、その傾向は大変に強まるのです (なぜそうなのか、深層心理にご関心がある方は、善悪中毒をお読みください)。 ですから、世の中には様々に異なる意見がありますが、善悪中毒の傾向を持つ人は、自分とは異なる意見を読みません。聞きません。
  
 では、具体的にどう見ずに/聞かないのか?

何でも好きなことを言って。僕には、何も見えないし、聞こえないから。

 …典型的なパターンをご紹介しましょう。 
 まず、何かの意見・思想に接する時、注意深くその思想の最初だけを読み ます。 そして、「自分の意見と同じかどうか。同じ善悪を持っているか」という判断だけに集中します。
 そして、「あ、この筆者の思想は、俺とは違う」  そう判断した瞬間に、心を閉じます。 「この意見は悪だ」と無視し、ただ単に読まないか「間違い探 し」を行います。

 ―こうして、多くの人々は、心を頑なにし(善悪中毒という心の病を続け)、 彼ら自身、善悪の無限の葛藤の中で苦しみつづけ、さらには、異なる意見の人々を攻撃し、他の(国の)人々を殺しつづけているのです。


人の心に働きかける手段としての絵本

 この善悪中毒者の心の壁をいかに超えるか? はじめから目を閉じ、耳をふさいでいる人に、どうすれば「目の前は崖だよ」というメッセージを届ける事 ができるのか?
 僕が最終的に思いついたそのための手段が、絵本でした。 絵本には、メッセージを伝える媒体として、他の手段には無いメリットがあるのです。

 ―では次に、そのメリットについて、ご説明しましょう。


心の壁を下げる

 可愛い絵本を贈られて、不快感を持つ人は少ないでしょう。これは他の手段と比較していただければすぐに分かります。

 ―例えば、新聞の意見広告。
 大勢の人に見てもらえるという意味では、大変効果的だと思いますが、 違う意見を持つ人に読んでもらえる可能性はあまり大きくは有りません。
 正義の戦争を行っていると信じている人が、戦争反対の意見広告を見ても、中身まで読むことは少ないのです。「馬鹿な奴がいる」の一言で終わりです(とはいえ、大勢の人の目に止まる魅力は捨てがたく、我々の運動でも、いずれ利用することも考えています)。

 ―例えば、ビラ配り。
 これも、同じ意見を持つ人には、応援してもらえるでしょうが、他の意見の人は、ゴミ箱に捨てるだけでしょう。

 ―例えば、デモ行進。戦争にあなたが反対し、その意見を他の人に伝えたくて、デモ行進をしたとします。戦争に賛成する人は、そのニュースを見て、あなたの言いたいことを考えるでしょうか?
 ほとんどの人は、顔をしかめ、舌打ちをして、チャンネルを変えるでしょう。

 つまり、メッセージが、異なる意見の人に伝わる事は稀です。(誤解を避けるために申し上げますが、これらの行為が無意味だと非難しているのでは全く有りません。)
 しかしながら、子供用の絵本を見て、「こいつの意見は俺と同じか?」「私と同じ善悪の判断をしているだろうか」と警戒心を持つ人は少ないのです。
 つまり、絵本ならば、まず最初に、読んでもらえる可能性があるのです。


読むのに時間が掛からない

 首尾よく読み始めてもらえたとしても、分厚い本では、最後まで読んでもらえる可能性は少ないでしょう。
 その点、絵本はページ数が少なく、言葉の数は最小。そのために、最後まで読んでもらえる可能性が強いのです。つまり、伝えたいメッセージを短時間で確実に伝えることが出来ます。
 もちろん、短い言葉でメッセージを伝えるためには、表現の工夫は必要です。


絵の説得力

 世界の人々に伝えたいメッセージの内容ですが、錯覚(誤解)の危険が大変に大きなテーマとなります。
 さて、この錯覚を表現する場合、絵本は、表現形態として大変に優れているのです。つまり、言葉で書くと大変なことでも、絵で書けば、一目瞭然となることが多いのです。

 むろん、頑なな心の持ち主に対するとき、分かりやすさは必須の条件となります。また、絵と簡単な言葉の絵本は、読者を選びません。子供でも、文盲に近い人でも、理解してもらえる可能性があります。
 広く世界に訴えるために、分かりやすさは大変に重要なのです。



なぜ絵本をプレゼントにする必要があるのか?

 さらに、平和の絵本の運動では、「絵本をプレゼント」という流通システムを採用しています。
 なぜ、プレゼントにする必要があるのか?
 それは、こちらから送り付けなければ、メッセージを必要としている人の手に届かないからです。本絵本集は、webで無料で公開していますが、 コンピューターを扱って、能動的に読もうとしなければ、読むことは有りません。
 つまり、善悪中毒者が自分からwebでこの絵本集を読む可能性は極めて少ないのです。

いっぱい愛を込めて絵本のプレゼント!(*^^*)

絵本の条件

 さて、気づきを広げ・世界を癒し、和の心を広げる為に、贈る絵本には、いくつかの条件があります。それらについても、ここでざっとご説明しておきましょう。 (注; 印刷版「魔法のメガネ」を制作する際、どのようなことへ留意したのか、より詳細については、魔法のメガネ制作の舞台裏のページをご参照ください。)


特定の団体、人々を指名した非難にならないこと。

 メッセージを世界に広げ、実際に「気づき」として人々に受け取って貰うためには、特定の人々を名指しし、非難することは避ける必要があります。
 実は、特定の人々を非難することは、他の人々の共感を得る近道ではあるのです。しかしながら、それをすると、非難された人々は、心を閉ざします。
 つまり、もっともメッセージを必要としている人達の手(つまりは心)にメッセージが伝わらなくなるのです。
 善悪の世界に逆戻りしてしまう、と言っても良いのですが…

 従って、どれほど腹が立っても、歯を食いしばってでも、人々を名指しすることは、 この運動では、原則的に避けようと考えています。なおこれには、実際の非難だけではなく、「非難目的だと誤解される」ことも含んでいます。

 ちなみに、この目的のために、私どもの多くの絵本は、他の星の出来事にしています。

僕、宇宙人なんだよ。
君のウチへ遊びに行かせて!
ぼく、魔法のメガネの主人公だヨ!-寄付(募金)のページを見てネ!

具体的な事例を連想するものであること

 一方で、本絵本集は、実社会と無関係なところで、哲学的な思索をするものではありません。実際に、世界に和を広げるという使命を持っています。
 そのため、―上述の内容と相反する難しさもあるのですが―、ある程度は、具体的な事例を連想させるものであることが望ましいと思っています。
 「特定の人々を名指しせず、非難にならず、しかし決して抽象的な話に終わらず、読者が具体的な事例を容易に連想することが出来る」
 そのあたりに、理想があるのかな、と思っています。

メッセージが凝縮していること

 これはご説明するまでも無いでしょう。メッセージなら何でも良いというわけでも有りません。本質を切り取る作業が必要です。
 僕としては、全力を注いでいるつもりですが、またご意見なりご感想なりをいただければと思います。

一見、100%無害であること

 もちろん、害のある絵本を書いているつもりは有りませんが、絵本には強烈なメッセージを込める必要があります。
 「そのまま歩いていくと崖から落ちる」という時には、大声で怒鳴りつける必要があるのです。
 とはいえ、はじめから怒鳴られると思われては、絵本を読んでもらうことは出来ません。 従って、一見、なんの変哲もない絵本を装う必要もあるでしょう。

ある程度の値段・品質のものであること

 本webの絵本は、印刷が出来るように、PDFファイルを用意しています。もし、絵本のメッセージを伝えたければ、印刷して、郵送してもらうことも可能です。
 また、web上で無料で見ることが出来ますので、ある程度、メッセージを広めていくことは、それだけでも出来ると希望しています。
 特に、学校や家庭の教育で使っていただけたなら、じわじわと、善悪の錯覚の恐さといったメッセージを、世界に広めていくことが出来るでしょう。

 とはいえ、それだけでは、全世界に平和のメッセージを伝えることは出来ません。何回も申し上げている通り、心を閉じている人達がいるからです。
 彼らには強制的に贈り付ける必要があります。 むろん、PCで印刷し、ホッチキスで止めた絵本を贈ることも可能です。それはそれで何らかの効果はあるでしょう。 しかしながら、それだけでは、インパクトが弱いのです。
 それは絵本を受け取った人の気持ちになって考えてみれば、すぐに分かります。

1)ホッチキスで止められた紙の束の絵本が、どっかから郵送されてきた。

 その場合、次のような反応を受ける可能性が強いでしょう。
 「なんだ、このゴミは。変なものを送りつけやがって」

2)本屋さんで売っている品質の絵本が、どっかから郵送されてきた。

 その場合、次のような反応を受ける可能性が強いでしょう。
 「え? なんなんだ、これは? 通信販売のカタログじゃないみたいだし。絵本のように見えるけど…。中身も絵本なのかなあ? どれどれ…。」

 この目的のために、ある程度の品質のものを作成しなければいけない、と考えています。 ちなみに、印刷版「魔法のメガネ」の制作時には、絵の書き直しのコンペティションを開催、 優勝したプロのイラストレーターへ作画をお願いしています。

タブーを避けること

 絵本の対象は、全世界です。つまり、様々な文化の人々を読者として想定しています。  そのためには、異文化のタブーを避ける必要があります。

 また、異文化の人が読んだ場合に、テーマが誤解されないよう配慮することも、―大変に難しいのですが―重要です。

 以上、なぜ絵本で世界平和なのか、ということをご説明しました。   

 

⇒次ページ U.平和の絵本の旅
 (メッセージを広げるためには、絵本の流通も大切です。そんなご説明をしています)

★そもそも「なぜ世界へ働きかける必要が有るのか」については、こちらの「善悪中毒」の一節もご参照ください。
 なお、本「善悪中毒」では戦争など人類の葛藤の原因を心理学的に分析しています。




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