繰り返しになるが、人類の歴史は、悲惨なものだ。
異教徒・異民族への迫害。魔女裁判と火あぶり。侵略。植民地支配。戦争。虐殺。奴隷制度。ホロコースト。原爆投下。勝者による敗者への侮辱。
人類は何千年も血塗られた愚行を繰り返し、決して学ぶことが無い。まさに絶望的だ。 —こうして自分自身への信頼を根本的に無くしてしまえば、成長の可能性そのものが消えてしまうことは前述した。
実はこの絶望は、成長の可能性を奪うだけにはとどまらない。それは、次の結論へとも容易につながることだろう。
『人類はあまりにも愚かなので、
力・恐怖に基づく命令で、支配しなければならない』
そしてこの結論を信じたなら、人間を支配する力・恐怖—核兵器・軍事力・地獄の恐怖など—は必要不可欠なものとなる。
つまり、世界中の人々がこの思考パターンに落ち込んでいる限り、軍拡の流れを止めることは大変に難しい。
また上記を信じることは、善悪中毒の原因でもあり、その治癒を大変に難しいものとする(弊著「善悪中毒」をご参照ください)。
しかしながら筆者は、人類の残虐な歴史は決して人類という種の欠陥を証明するものではなく、むしろ種としての素晴らしさを証明するものではないかとさえ考えている。
そして人間への信頼を取り戻すことは、善悪の錯覚が生む無限の争いを止めて、善悪中毒を癒すことへもつながるだろう。
つまりは、恐怖に頼る思考パターン、軍拡への思考パターンを脱却する道を開くこととなる。すなわち、恒久的な世界平和達成の道を開く。
本章では、純真無知氏の目を通した聖書の記述を人類の歴史と比較検討し、人類が本当は素晴らしい存在・信じるに足る存在だという可能性をご説明したい。
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