
- '20.04.18 連作絵本「想像という現実」を1頁にまとめました。⇒「想像という現実―連作絵本」
- '19.11.09 新作絵本を発表しました。「怒りと憎しみの絵本集」の1作品です。⇒「僕はイジメっ子?」
- '19.11.01 本トップページを少し書き直しました。何かお気づきのことありましたら、ご連絡ください。m(_ _)m
- '19.10.21 新作絵本を発表しました。「怒りと憎しみの絵本集」の1作品です。⇒「愛が見えない」
- '19.10.08 新作絵本を発表しました。「怒りと憎しみの絵本集」の1作品です。⇒「謝罪の危険」
- '19.10.07 新作絵本を発表しました。「怒りと憎しみの絵本集」の1作品です。⇒「怒る危険」
- '19.10.02 新作絵本を発表しました。「怒りと憎しみの絵本集」の1作品です。⇒「怒りは善悪で歪む」
- '19.09.28 以前発表した2本の絵本「優しい巨人」と「平和主義?」を「怒りと憎しみの絵本集」へ移動しました。
- '19.08.26 新作絵本を発表しました。「怒りと憎しみの絵本集」の中の6本目です。⇒「友達になれるよ」
- '19.08.20 新作絵本を発表しました。「怒りと憎しみの絵本集」の中の5本目です。⇒「怒らない不信」
- '19.08.16 新作絵本を発表しました。「怒りと憎しみの絵本集」の中の4本目です。⇒「予防できるよ」
- '19.08.14 新作絵本を発表しました。「怒りと憎しみの絵本集」の中の3本目です。⇒「伝えられるよ」
- '19.08.08 新作絵本を発表しました。「怒りと憎しみの絵本集」の2本目です。⇒「注意をひけるよ」
- '19.07.29 新作絵本を発表しました。「怒りと憎しみの絵本集の最初の作品です。⇒「愛と怒り」
- '19.06.14 新作絵本を発表しました。「バカ自慢を描く絵本集」の5作品目です。⇒「何のための、バカ?」
- '19.06.09 新作絵本を発表しました。「バカ自慢を描く絵本集」の4作品目です。⇒「恨むための、バカ?」
- '19.05.30 民主主義に関連した絵本を1頁にまとめました。⇒「民主主義の絵本集」
- '19.05.29 新作絵本を発表しました。「バカ自慢を描く絵本集」の3作品目です。⇒「戦うための、バカ?」
- '19.05.20 新作絵本を発表しました。「バカ自慢を描く絵本集」の2作品目です。⇒「怒るための、バカ?」
- '19.05.02 新作絵本を発表しました。「バカ自慢を描く絵本集」の最初の作品です。⇒「バカ自慢」
- '19.03.07 Yataroさんが新しいピースサインを提供してくださいました。⇒No More Gun が Love & Peace!
- '19.01.30 トップページを少し修正しました。
平和の絵本のクイックツアー
お忙しい方のための、目的別クイックツアー(QT)です。紹介用ページとしてもご利用ください。
平和の絵本(へいわのえほん)
善悪は、その恐怖と錯覚のメカニズムを通して、過去4000年間(推定)にもわたり人類の潜在意識を支配し、葛藤を生み凶暴化させ、想像を絶する悲劇を生んで来ています。
それはあらゆる局面で観察できますが、恐ろしいことにその隠然たる支配に気づいている方はほとんどいません。
本絵本集は、世界中の人々がより幸せに笑顔で暮らしていくことが出来るように平成16年(西暦2004年)から無料で発表しているものです。
もし内容にご共感頂けましたら、善悪の人間支配への気づきを広めることにご協力下さい。m(_ _)m
善悪の錯覚について
善悪の命令
善悪はもちろん支配者として命令を下します。あなたは善悪が常に命令を出していることにお気づきですか?
善悪の支配を放置して争いが無くなるわけがありません。 「世界中で争いが絶えないのは当たり前」ということは、わずか6ページの絵本で描けます。
善悪は争いを生むだけではありません。愛も歪めてしまうのです。
錯覚は、ハッキリと見えない時にするものです。 では善悪の命令で見えていないことって何でしょう? 何が隠されているのでしょう?
善悪の飴(あめ)と鞭(むち)
そもそも人はなぜ善悪を使ってわざわざ錯覚なんかするのでしょう?
そこには善悪が持つ、大変に甘い飴と恐ろしい鞭があります。
この飴と鞭で人は善悪に中毒してしまうのです。
ではまずは善悪の飴。善悪の甘い罠を描く絵本です。
次は善悪の鞭を描く絵本です。
善悪の鞭で代表的なものとして、多くの人が思いつくのは地獄に落ちる恐怖と罰かもしれません。
「悪だと裁かれれば、神に呪われ地獄に落ち、永遠に火で焼かれてしまう・・・」
想像力がある人にとっては、それは大きな恐怖となります。
さらに罰はこの世の実際の苦痛としても存在します(あまり想像力が無い人にとっても、罰せられることは楽しく無いでしょう)。
何年も牢屋に閉じ込められ、場所によっては鞭打たれ、腕を切り落とされ、名誉をはく奪され、殺されます。
高所恐怖症・閉所恐怖症があるのですから、当然、「自分が悪となってしまう恐怖症」(「地獄恐怖症」「罰恐怖症」)も存在します。
どう考えても地獄は快適な高層ビルの一室より恐ろしいところですし、出入りが自由な地下室はどんなに狭くても牢屋より解放的だからです。
深まる善悪の錯覚・支配
もちろん人は無条件に錯覚できるわけではありません。錯覚を深めるためには工夫が必要です。 たとえば言葉が持つ暗示の力を利用することも・・・ 一種の催眠効果だと考えることが出来ますね。次の絵本ではそんな暗示について描きます。
錯覚が深まれば深まるほど、錯覚のコントロールは難しくなるでしょう。 その結果、錯覚に基づいた命令だけが独り歩きしてしまう。 ・・・それがどれほど危険なことかが次の絵本のテーマです。
なぜ学校でイジメを他の子が止められないのか。なぜ職場の様々なハラスメントを他の職員が止められないのか。 なぜ正義に駆られた超大国の戦争をどの国も止められないのか。 次の絵本ではそんな心理を描きます。 善悪は錯覚と恐怖を両輪として人々の深層心理を支配し、元々無関係な人々まで争いに巻き込んでしまうのです。
善悪が生み出す錯覚は一つではありません。様々な錯覚が多面的に隠れているのです。 次の絵本もまた隠れている錯覚を描きます。
善悪の錯覚を理解するためのキーポイントは?
人の深層心理にまで入り込んでいる善悪の錯覚を、きちんと理解することは誰にとっても簡単ではありません。その錯覚のメカニズムは数千年も掛けて洗練されてきたものです。
その理解のポイントは恐らくはまず土台となる恐怖。それからあたかも条件反射のように、子供の時から叩きこまれた心の癖。
そして、善悪があたかも二分類のように見える、ということです。
これらのポイントをテーマとした絵本を3本ご紹介します。
まずは子供の時から叩きこまれた心の癖です。
次のポイントは、善悪があたかも二分類であるかのように見えるということです。
「善悪」という言葉は「善」と「悪」という二つの言葉から成立しているので、あたかも二分類のように見えてしまうことが多いのです(=錯覚が成立する余地がある)。
以下の2つの絵本は、そんな二分類が生む錯覚とそのバカバカしさを描くものです。
ご覧いただいた通り、二分類はとてもラフなものです(理論的に二分類は分類としては最も大雑把)。
二分類はあまりにもラフであり、分類としてはほとんど無意味でしょう。
そして二分類は、その大雑把さゆえ恣意的に使うことも出来ます。
ここで、無意味でラフで恣意的な二分類が、地獄や罰への恐怖という強烈な感情を伴って
見えない命令を生み出していると想像してみてください。
その全ての心理過程が、パブロフの犬の条件反射のごとく無意識に自動的に行なわれていると。
認識と錯覚について
ここまでお読みいただき、錯覚の恐ろしさを実感していただけたでしょうか? それとも難しいとお感じでしょうか? 錯覚はいわば認識の歪み/失敗だと考えることが出来ます。ここで少し気分を変えて認識と錯覚に関する絵本をご紹介しましょう。
錯覚を客観視するためには、実はちょっとしたコツが必要です。 ここで描いているのは簡単な心理テクニックですが、「錯覚」を理解するために必要不可欠なものです。
認識と錯覚の基本について、絵本集を書きかけ中です。 アップしているのはまだ一本、絵本「三次元だよ」だけですが、ここで扱っているのはとても重要なテーマです。この視点を身につけるだけで、意見の違いが生じたときのストレスをかなり軽減することが出来るはずです。
善悪が生む膨大な歪み
再び、善悪の話に戻ります。善悪は数千年もの間、人類の深層意識に深く入り込み認識を歪め、錯覚を生み続けています。 当然、そこには想像を絶するほど深刻で膨大な問題が生じています。
憎しみの連鎖
憎しみの連鎖・暴力の連鎖の土壌には当然、善悪が生む錯覚が存在するでしょう。 世界中で延々と続く憎しみの連鎖は、人類がどれほど深く、善悪に中毒し支配されているかを示しているものと考えられます。 逆に言えば、人類の深層心理に隠れた善悪の人間支配への気づきを広げ、錯覚を引きずり出し光を当てさえすれば、 憎しみと暴力の連鎖を断ち切ることが出来るでしょう。それが次の絵本のテーマです。
凶暴化
人は善悪が生む錯覚で凶暴化します。 凶暴化の心理プロセスは色々ありますが、ここでは二つご紹介します。 まずは善悪と「祈り」による凶暴化を描く絵本です。
(注)この絵本からキリスト教の原罪思想なり「主の祈り」を連想する方もいるかと思いますが、 この絵本は宗教的な真実ではなく錯覚を描いたものですので念のため。
次は「見えない」ことから来る凶暴化の心理を描く絵本です。目隠しもまた善悪が持つ錯覚のメカニズムの作用となります。
心の分裂
善悪の支配・錯覚は、人々や国同士の争いを生むだけではなく、個人の心の分裂の原因にもなります。 分裂した心は、意志薄弱・引きこもりなど様々な問題を生じるでしょう。 二重人格、多重人格(解離性同一性障害)などの精神疾患も心の分裂の延長線上に存在するものです。
歪む宗教、信仰
もしかするとあなたは何か宗教を信仰しているかもしれません。
そして善悪は神に由来するものであり、何よりも大切だと信じていらっしゃるかも知れません。
しかしながら、「錯覚」はどうでしょう? いうまでもなく錯覚は信仰の妨げです。
錯覚を必要とする宗教など、ただの偽物であり妄想に過ぎません。
善悪の錯覚も、もちろん宗教の教えや信仰心を歪めます。
神が真実であるなら、錯覚は神から人間を遠ざけてしまうものです。
次の絵本では、善悪が生む錯覚がいかに神の愛から人間を切り離してしまうのかを描きます。
悪人狩り
善悪が支配する社会では悪人狩りも行われるでしょう。そしてその狩りは永遠に終わることがありません。
あらゆる失敗の原因
人は自身の認識に基づいて行動するものです。その認識が何らかの錯覚で歪んだら、行動も歪んだものとなります。 行動が歪めば、目的が何であれ達成することは大変に難しくなるでしょう。 ですから善悪が生む錯覚も、あらゆる失敗の原因となりえます。 まとめてオムニバス絵本集としてみました。 善悪の錯覚を原因として、泥棒の予防・禁煙・禁酒・受験への合格・麻薬中毒をやめること・犯罪予防 というそれぞれのケースで失敗してしまう、6本の絵本をご紹介します。
無理解と怒りと憎しみと
善悪がもたらす歪みは、理解を無理解へ、怒りを憎しみへと置き換えます。
罰について
罰をテーマとした絵本集です。罰が生む恐怖は、善悪の支配を支える主要なエネルギー源です。当然、そこには様々な問題が潜みます。
善悪の支配について、残る疑問
善悪は、長い歴史をかけて人類の潜在意識の奥底まで入り込み支配しています。その支配・錯覚のメカニズムから自由になることは決っして容易ではありません。 まだたくさんの疑問が残されていたとしても、それは当然のことです。ここでは善に関する、残るであろう疑問への回答をいくつか試みたいと思います。
加害者への復讐
読者の中には、次のような疑問をお持ちになる方がいるかもしれません。
「犯罪被害に遭った場合など、加害者への処罰感情、復讐心が起きるのは当然ではないのか? 悪人に復讐できないなんて納得できない」
筆者は被害者の怒りを否定するものではありません。
復讐を悪だというのでもありません(復讐を善悪二分類の悪へと分類し、悪をしてはいけないという、命令者も分からない禁止命令を出すつもりはないということ)。
復讐や罰には、一定の犯罪抑止効果もあるでしょう。
しかしながら一方で、加害者を悪と認識し攻撃以外の選択肢が全く見えなければ、そこには善悪が生む錯覚が潜んでいるかも知れません。
そしてその錯覚に気づかなければ、錯覚のメカニズムの囚われ人である可能性も強いでしょう。
復讐と錯覚をテーマとする絵本をご覧ください。
悪人がノウノウと生きて良いのか
「悪人が罰せられもせず、地獄に落ちないなんて納得できない」と思われる方もいらっしゃるかも知れません。
繰り返しになりますが、犯罪者を罰することを悪だと言っているのではありません。地獄の有無について何らかの主張をしているのでもありません。
しかしながら一方で、目を三角にして「加害者は何が何でも罰しなければいけない。そうしないと、とんでもないことになる」と怯えたなら、
そこには善悪の錯覚/強迫観念が隠れているかもしれません。つまり善悪の支配下にある可能性が強いでしょう。
天網恢恢疎にして漏らさずと言います。
誰かを意味も無く傷つけてノウノウと生きて死ぬことは、なかなかに難しいことです。
これは生と死の絵本集の中の一作品です。
本物の悪人はどうするのか
「犯罪の原因などと言ったって、本物の悪人はいるだろう。本物の悪人とは戦う以外、どうしようもないんじゃないか」といった疑問を持つ方もいらっしゃるかもしれません。 もちろん、犯罪者と戦うななどと言うつもりはありません。 しかし戦う以外の選択肢が全く見えなければ、そこには善悪が生む錯覚があるかもしれないと繰り返し申し上げています。
さて、ここでいう「本物の悪人」とは、どのような存在でしょう? それは、悪を憎め/罰しろという命令にしか値しない存在です。 それは、どんな場合でも無条件に攻撃し罰を与えなければいけない存在です。 それは、原因があって犯罪を犯すのではなく一切原因が無くても必ず犯罪を犯す、なぜならそれがその人の本性だから、といった存在です。
もしそんな「本物の悪人」が多数存在し、彼らが犯罪的行為の中心を担っているのなら、それは「悪い奴が悪いことをしただけ」であり、 対処方法は唯一、悪人と戦うことだけかも知れません。 「犯罪が起きたとき、その原因を追究し、その解決を目指す」という選択肢こそが錯覚の産物となるでしょう。
つまり、以下のどちらの意見を支持するかは、犯罪行為の原因を探る意味がそもそもあるのかという判断に大きく影響すると考えられます。
- 1)人が犯罪行為をするのは、(善悪中毒など心理的なものも含めて)何か理由/原因があってのことだ。
- 2)人が犯罪行為をするのは、その人の変わらぬ本性によるのであり、他に理由/原因など存在しない。
そこで、最も本物の悪人らしき人について考えてみました。
筆者が選んだのは快楽殺人者です。 自分の性的な快楽のために、異性を拷問し殺すといった異常者は、筆者には最も本物の悪人っぽく見えたのです。 もし彼らの行為にも原因があり、つまり本性から必ず犯罪を犯すという「本物の悪人」では無いのだとしたら、 逆に本物の悪人という概念そのものが錯覚であるという可能性がぐっと高くなるでしょう。つまり、犯罪行為の原因を探る意味が大いにある、と判断することが出来ます。
以下、連作絵本「想像という現実」では、サディズム、快楽殺人、カニバリズムなど異常者の心理とその原因を描きます。
善悪の錯覚に関するQ and A
絵本でまだ書き切れていないことに関して、 ⇒善悪の錯覚に関するQ and A(質問と回答)のページを用意しました。 ご参考にして頂ければ幸いです。
愛の錯覚
愛の錯覚 悲しみの
歴史に終止符を!
愛の錯覚を描く絵本集です。「愛を命令しないで」は3つの絵本で出来ているオムニバス絵本です。
愛と嘘(あいとうそ)
-嘘と偽善の心理学 ![]() 愛の命令は嘘の原因 |
愛と敵(あいとてき)
-虐待の原因となる愛の錯覚 ![]() 愛の錯覚は多くの悲劇の原因に |
愛を命令しないで
(オムニバス絵本) ![]() 愛の錯覚が生む悲劇を描くオムニバス絵本集。 児童虐待、性的な暴力、侵略戦争の深層心理です |
愛の錯覚の恐ろしさをご実感いただけたでしょうか?
それが善悪の錯覚であろうと愛の錯覚であろうと、共通するのは錯覚を使って自分や他人をコントロールしようとする、心的な態度です。
その底には、人類が持つ自己不信・自信の無さ(錯覚をしてでもコントロールしなければいいけない、放っておいたら何をしでかすか分からない)があるのかも知れません。
ところで、もし愛は「善」であるとして、「善いことはしなければいけない」と考えるなら、「愛さなければいけない」となります。 その場合、愛の錯覚は善悪の錯覚の一部だと考えることが出来ます。つまりは善悪の支配下にある、ということです。
歪みが無ければ・・・
ここでご紹介する絵本は錯覚の心理・原因ではありません。歪みが無ければ、そこには「人の心」があるのです。
心の成長へ
心掛けたいこと
絵本「嵐と湖」は実際に筆者が常に意識していることです。人生を生きていく中で大変に役立っていることなので、シェアさせてください。 絵本「待って」は、ごく単純な話なのですが、錯覚に落ち込まないために大変に重要な心的な態度をテーマとしています。 信頼し待つことが出来れば、無理に愛を命令することはありません。 錯覚に頼ることも無いのです。
善悪中毒を癒すために
ただ流されて生きるだけなら、周りの人々と同じ「メガネ」をしていた方が楽だということもあるのです。 善悪のメガネを外したければ、まずはプライドを高く持ってご自身に気合いを入れてください。(笑)
次はより具体的な心理エクササイズです。 ご自身が何を正しいと思っているのか、何を悪だと思っているのか。 時折、自問自答して頂ければ幸いです。
善悪の錯覚の見つけ方について、こちらの善悪の錯覚に関するQ and A(質問と回答)の頁に書きましたので、そちらも御参考にしてください。
生と死について
死を考えることは生を考えること。人間としての成長にも心の癒しにも、つながるでしょう。生と死をテーマとした絵本集です。
錯覚が支配する世界で
現実世界はどれか一つの錯覚ということではなく、複数の錯覚が有機的に組み合わさって動くものです。 そんな錯覚に満ちた世界を、いくつかの絵本で角度を変えて描いてみました。以下の絵本は錯覚に関して、ある程度理解していただいた方を対象としています。
お金・経済問題
お金・経済問題をテーマとする絵本です。失業や生産性、財政危機などの相関関係について描いています。
民主主義について
「民主主義」という言葉は正確には何を意味しているのでしょうか。民主主義に関連した、誤解/錯覚について描く絵本集です。
異文化交流と誤解
錯覚が支配する世界で、異文化に属する人間同士がどのように誤解しあうのかを描く絵本です。
被害者意識について
この絵本のテーマは被害者意識の心理です。被害者意識が生む錯覚は、時に人間関係(個人ベースでも民族ベースでも)をゆがめ、 イジメや差別を固定化してしまうことが有るのです。 どんな場合にこういう錯覚が生まれるのか、どうすれば悲劇を防げるのか、お考えいただければと思います。
核廃絶について
地球上から原爆(核兵器)を無くすことを目的に執筆した58頁の長編絵本です。大変にデリケートなテーマを扱っていますので、他の絵本を読み終えてから、お読みいただきたくお願い致します。大人向きの絵本です。
差別について
差別問題も、多くの人々に善悪で錯覚されているようです。 その結果、差別がそもそも何なのかも、なぜ差別が起きるのかも、ではどうすれば差別を無くせるのかも、ほとんど霧の中にあります。 ここでは問題を整理するために、ごく基本的な「差別とは何か」から始めて、差別の心理と原因、人種差別の始まりとその終焉までの歴史を18本の絵本で描きます。 ちなみに18本目の絵本「山は見えない」は、現時点(2006.4月現在)で私ども最長の90頁の長編絵本となります。
具体的な政策論
初めて具体的な政策論に踏み込んだ絵本の論文です。国民的な議論の叩き台に出来ればと希望しています。大人向けです。