生存競争が、全くの妄想だといっているのではありません。人生にそうした局面、側面は存在します。 しかしながら、それが全てではありません。 「生存競争が存在するから人間が人間を大虐殺することは必然である」と考えれば、そこには若干の妄想が混じるでしょう。 妄想は現実に絡みつき、現実を利用し、現実を装うものなのです。
妄想を破壊され追い詰められた丸人たちは、自己正当化の方策を人間性への妄想と善悪の錯覚に求めました。
人間性への妄想というのは、「人間には闘争本能がある。だから常に対立し戦い合うのだ。
これは生存競争という、自然の法則だ」といった思い込みです。 どれほど大勢の人々を虐殺しても、生存競争や闘争本能のせいにすれば、 なんとなく自己正当化ができるような気がしませんか? |
それは、丸人が長く育ててきた「人と人とは対立するものだ」という思い込みの延長でもありました。 |
〔ふりがな〕 もうそうを はかいされ おいつめられた まるじんたちは、じこせいとうかのほうさくを にんげんせいへの もうそうと ぜんあくのさっかくに もとめました。 にんげんせいへの もうそうというのは、「にんげんには とうそうほんのうがある。だからつねに たいりつし たたかいあうのだ。これは せいぞんきょうそうという、しぜんのほうそくだ」といった おもいこみです。どれほど おおぜいのひとびとを ぎゃくさつしても、せいぞんきょうそうや とうそうほんのうのせいにすれば、なんとなく じこせいとうかが できるようなきが しませんか? それは、まるじんが ながくそだててきた「ひとと ひととは たいりつするものだ」という おもいこみの えんちょうでも ありました。 |