自分たちが正義の味方で、悪魔と戦う大天使のような存在だという、なんともウットリするような 妄想に取り憑かれた、一部の丸人たちは、その後もずっと戦争を続けました。
さて、人の行動は認識に基づきます。 「人間には闘争本能があるので必ず戦う」と思い込んだ丸人の一部は、その後ももちろん、戦い続けました。 また自分たちを正義の味方だと認識した丸人の一部は、その後、悪人探しを続け、やはり悪(彼らの考える「悪」ということです)と戦い続けました。 |
妄想に取り憑かれ戦いをやめられない、そんな悲しい丸人の戦争にも、占領下のノウソは自由意思を装い協力しました。 その結果、丸人を怖くて非難できない人々は代わりにノウソを、「やっぱり悪だ」と一層非難することになったのです。 |
〔ふりがな〕 さて、ひとの こうどうは にんしきに もとづきます。 「にんげんには とうそうほんのうがあるので かならずたたかう」とおもいこんだ まるじんのいちぶは、そのごももちろん、たたかいつづけました。またじぶんたちを せいぎのみかただと にんしきした まるじんのいちぶは、そのご、あくにんさがしをつづけ、やはりあく(かれらのかんがえる「あく」ということです)と たたかいつづけました。 もうそうにとりつかれ たたかいをやめられない、そんなかなしい まるじんの せんそうにも、せんりょうかの のうそは じゆういしを よそおい きょうりょくしました。そのけっか、まるじんを こわくてひなんできないひとびとは かわりにのうそを、「やっぱりあくだ」と いっそうひなんすることに なったのです。 |