異文化の人々が理解し合うというのは、簡単なことではありませんね。
辺境の地にあるノウソには、多くの丸人が錯覚している教え ―●他人を愛せ ●善を愛せ。悪と戦え ●悪人は神に呪われ、地獄へ落ちる ●意味もなく人を殺すな ●異教徒は悪魔だ ●人は生まれながらに罪深い―は広まってはおらず、小さな子供は別として、神の呪いや地獄を恐れる人は少なかったのです。 |
逆に言えば、多くの丸人が善悪の妄想にどれほど深く中毒し、傷つき、苦悩しているのか、ほとんどのノウソ人には想像も出来なかったのです。 そのため、丸人がノウソを屈折させた理由も分からず、それは多くのノウソ人―特に若い世代―の心に暗い影響を与えました。 歪んだ社会に委縮し自虐的になったり、刹那主義・拝金主義に走ったり、絶望し自殺する人すらもいたのです。 |
〔注〕 悪魔や地獄の有無について、一切の主張をするものではありません。 |
〔ふりがな〕 へんきょうの ちにある のうそには、おおくの まるじんが さっかくしている おしえ ―●たにんを あいせ ●ぜんを あいせ。あくと たたかえ ●あくにんは かみに のろわれ、じごくへ おちる ●いみもなく ひとをころすな ●いきょうとは あくまだ ●ひとは うまれながらに つみぶかい―はひろまっては おらず、 ちいさな こどもは べつとして、かみの のろいやじごくを おそれるひとは すくなかったのです。 ふわあ~ ねむい あくま? じごく? がきじゃあるまいし・・・ ぎゃくに いえば、おおくの まるじんが ぜんあくの もうそうに どれほどふかくちゅうどくし、きずつき、くのうしているのか、 ほとんどの ノうそひとには そうぞうもできなかったのです。 そのため、まるじんが のうそをくっせつさせた りゆうも わからず、それは おおくの のうそじん―とくに わかいせだい―のこころに くらいえいきょうを あたえました。 ゆがんだ しゃかいに いしゅくし じぎゃくてきになったり、せつなしゅぎ・はいきんしゅぎに はしったり、ぜつぼうし じさつするひとすらもいたのです。 |