丸人はすでに破壊されてしまった「三角人は劣等人種」という妄想の代わりを必死になって追い求めました。 そして、善悪の錯覚を利用することとしたのです。
とはいえ、妄想は簡単には成立しません。 妄想をあたかも現実であるかのように自分自身を騙し、信じることが出来なければ、妄想は成立しないのです。 |
そこで丸人たちは、自分を騙すために、手の込んだ儀式を行いました。 それはあたかも客観的な真実の追求であるかのように見せかけて(そうでなければ、信じることが出来ません)、 「ノウソが悪で丸人が善」という、あらかじめ決まった結論(=妄想)」を導き出すというものでした。 初めから結論は決まっているのですから、客観的な真実の追求は出来ません。 けれど、それがあたかも客観的な真実の追求のように見えなければ、自分を騙すことも出来ません。 |
〔ふりがな〕 とはいえ、もうそうは かんたんには せいりつしません。もうそうを あたかも げんじつであるかのように じぶんじしんをだまし、しんじることが できなければ、もうそうは せいりつしないのです。 なあ、わしはあくまに みえるかね? そこで まるじんたちは、じぶんを だますために、てのこんだぎしきを おこないました。 それはあたかも きゃっかんてきなしんじつの ついきゅうであるかのように みせかけて (そうでなければ、しんじることが できません)、「のうそがあくで まるじんがぜん」という、 あらかじめ きまった けつろん(=もうそう)」をみちびきだす というものでした。 はじめから けつろんは きまっているのですから、きゃっかんてきな しんじつのついきゅうはできません。 けれど、それがあたかも きゃっかんてきなしんじつのついきゅうのように みえなければ、じぶんを だますことも できません。 |